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古事記「序文」を探る

『古事記』序文から、『古事記』の目的や成立過程が明らかにされている。

碑田阿礼(ヒダノアレ)が暗記したという資料は、各臣下の家に代々伝えられていたものであるらしい。かなり古くからの記録が残されていたのではないだろうか。すなわち、『古事記』成立よりもはるか以前に何らかの記録形式が存在していたのではないかと推測できる。

当時すでにこれらの資料は事実をまげられたものも多く存在していたようである。資料を選出する際、様々な記録の中から撰者にとって都合のよい内容を選んだ可能性を否定することはできない。

また、漢文で綴られている『古事記』であるが、漢字の表現(音訓の用い方)に苦労したことも序文より知る事が出来る。

古事記 「序文」あらすじ

第一段

安万侶が申し上げます。・・・(略)・・・
万物創造以前のことは、はるか遠いことですが、神代のことを伝えた昔の賢人のおかげで、神が生まれ人が生まれた時代を知る事ができるのです。
・・・(略)・・・歴代の政治にはそれぞれ相違がありますが、古代のことを明らかにして、道徳がすでに廃れてしまっているのを正し、今を反省して、人間が守るべき法を絶やすことがないようにできれば言う事はないのです。

第二段

・・・(略)・・・
天武天皇が仰せられるには、
「私が聞くところによると、諸家が持っている帝紀旧辞の内容は、既に事実と異なり、虚偽の加筆も多いということである。今、誤りを改めなくては、幾年も経たぬうちに、本当の趣旨が失われてしまう。これらは国や政治の基本である。よって、帝紀旧辞を集め偽りを削り事実を定めて、後世に伝えたいと思う」
とのことであった。そのころ碑田阿礼という18歳の舎人がいた。聡明で、目に見たものは口で読む事が出来、耳で聞いたものは心に記すことができた。天皇は阿礼に命じて、帝紀旧辞を繰返して読み習わせた。しかしながら、天皇が崩御となり、文章化の計画は実行されなかった。

第三段

・・・(略)・・・
さて、元明天皇は、旧辞に間違いがあるのを惜しまれて、帝紀に誤りがあるのを正そうとして、和銅四年九月十八日に碑田阿礼が暗記している帝紀を撰録して献上せよと臣安万侶に仰せられたので、謹んで仰せのままに、子細に採録したのです。
しかしながら、上古においては言葉も内容も素朴なもので文章を綴るに当たり、字に置換える事はとても難しいことであった。訓のみで述べると言葉の意味が内容におばず、すべてを音で連ねると文章が長くなってしまう。そういうわけで、音訓を交えて用いたり、或いはすべて訓を用いて記述することにした。
・・・(略)・・・
天御中主神から鵜草葺不合命までを上巻、神武天皇から応神天皇までを中巻、仁徳天皇から推古天皇までを下巻として、合わせて三巻に記して、謹んで献上いたします。

和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安万侶

古事記 「序文」語句解説

安万侶:(やすまろ)
太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)。『古事記』の撰者。養老七年(723年)没。

帝紀:(ていき)
歴代の天皇の御名、后妃・皇子・皇女などを記した系譜を中心とする記録。皇居の名称、御陵なども記してあったらしい。

旧辞:(きゅうじ)
神話、伝説、歌謡物語などの伝承された物語の記録。「本辞」「先代の旧辞」と同じ。

舎人:(とねり)
天皇や皇族などに近侍し、護衛や雑事をつとめた官人。

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古事記を探る

(1999/3/1)